十夜一冊

本を読んで感想を書きます

意識のハードプロブレム

 

なぜ私の意識があるのか、恐怖や喜びや悲しみを感じるこの私はどこから来るのか、たとえば化学反応として私の体と完全に同じ挙動をする物質が用意されたとして、そこにも同様の意識のようなものがあるのだろうか、生体じゃなくてコンピュータ上での脳のエミュレータみたいなものならどうだ、哲学的ゾンビの問題は如何。

 

 

こういう問題のことを意識のハードプロブレム(難問) と呼ぶらしい。

意識のハード・プロブレム - Wikipedia

考案したおじさんも、この問題は普遍的で、意識について考える前提みたいなものだって言ってるし、ぼくもそれには完全に同意するのだけど。

 

現代の脳神経科学の粋を集めて、これら学問がこのまま発展したとしても、意識の問題にはたどり着けない、というのがハードプロブレムの要点なんだと思う。パラダイムシフトが必要なのだ。

 

この問題のもう一つ重要なところは、死ぬのが怖いってところだと思う。意識が消えたり現れたりする理屈がわからないから、説明できないから、怖いのだ。

 

この怖さを回避するための、私が知ってるパラダイム候補は次の通り。今後考えるためのメモというか取っ掛かりとして残しておく。

 

1. 諦める

ブッダというのはすごい人で、認知の切り替えでこの問題を乗り越えてしまったらしい。

彼がいうには、死にたくないとかみんなと別れたくないとか、そういう生きてるうちに湧き出て心を揺らすような、感情の数々を蝋燭の炎に喩えて、これをふっと吹き消すのが安寧に生きるコツだというのだ。涅槃とかニルヴァーナというらしい。

生きていたい理由になるような願いや欲望、恋人や友達かもしれないし、美味しいものが食べたいみたいなのも、ただ願えば苦しいだけの、とるに足らないものだ、というわけ。

普通、空を自由に飛びたいな、とか服を着ずに町に飛び出したいな、みたいな欲望を抱いたとして、これが叶わなくてもそんなに苦しくないわけで、意識の問題とかもただ移り変わる世界の小さな一側面に過ぎない、とるに足らない問題なのさという立場だ。

古典的で結構お気に入りだけど、生きながら死んでいるような、実存から逃げているような、つまらない立場のような気もする。

 

2.不老不死になる

先日の私は、日本酒を飲み過ぎて記憶をとばし、その勢いで恋人に電話をかけて、「貴女が死ぬのがいやだから不老不死の薬を作りたいけど、ぼくにそんな能力がないのは分かってるからいやだ!!!!」とか何とか泣きながら喚き散らしていたらしい。彼女は暫くは生命の危機とかではないので、この懸念、この不安にもは理由や理屈はない。

誰か一人でも永遠に意識を保って生きていくことができれば、この問題はひとまずの解決をみるのだ。あるいは人類はそういう永遠の存在に認められてるというのが福音で救いかもしれない。サムシンググレード。

魂の物質化、時間遡行、平行世界の運営…

 

3. 新しい論理学を立てる

意識というのは、人類の持つ論理体系、悟性、そう言ったものが持つ欠陥や未熟さの生み出したオバケのような気がする、という話。

ゲーデル不完全性定理というのがあって、これは世界で最も誤解されているとか言われている定理で、たぶん僕の解釈も間違ってるのだけど、

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

 

私の理解はこうだ。

論理的にものを記述するために、一定のルールで記号を並べる方法を色々考えることが出来る。不完全性定理の主張は、いかなる体系、たとえ一番記号が少ない簡単な記号体系を作ったとしても、どうしても証明できない問題が作れてしまう、という主張らしい。

この、証明できない問題のよくある例が、自分自身の話をする場合なんだそう。クレタ島の人が、「クレタ島人は嘘しか言わない」と言ったとき、その発言は嘘か本当かこんがらがるばかりで答えは出ない。

自己言及をしても問題がないような体系も組めるらしいけど、それはそれで別の問題をはらんでいるとかで…

人類の持つ言葉とか記号列みたいな、考える道具の構造的な欠陥が、自己言及的な自分の意識というものの記述しにくさをもたらし、その記述しにくさがひいては意識自体が神秘性を帯びてしまう原因じゃないかと、ぼくはかなり強く確信している。

不完全性定理の示した限界を突破できる、より強い考える道具を発明すれば、もっと筋のいい意識についての論説ができるはずだ。

不可算濃度の記号列で論証するとか、そういう妄想の話。

 

4. 現象学をやる

現象学というのは、カントとかヘーゲルとかニーチェとか、いわゆる西洋哲学に連なる系譜の極北だ。メルロ=ポンティとか語れると格好いい。

私は読んだことないから知らないし、人にもよるところがあると思うけど、どうやら鬱病に効くケースもあるようだ。すごい。

 

5. 動的平衡を考える

妄想じみたスーパー論理学を始めなくても、生体や生態系を論じるときに時々出てくる、平衡を扱う数学とか持ち出せば解決するのかもしれない。濫用ギリギリのルシャトリエの原理。

生き物とか生態系は、ある種のフィードバック機構を備えていて、自然とあるべき姿に落ち着く。いわんや意識をや。

エントロピーとは乱雑さのことではない(なかった)その1

読んだのはこの本

アトキンス物理化学〈上〉

アトキンス物理化学〈上〉

この教科書、「物理化学基礎および演習」の指定参考書で、範囲は熱力学的なエントロピーの導入まで。 
アトキンス物理化学って、教養課程でみんな読むド定番の教科書ってイメージがあって、化学系の学部を出た奴が読んで、書評を書けるような新しい発見があるようではまずいのだけど…


この教科書を読んでいたタイミングは、大学を離れる最後の年の学園祭。酒とともにあったわが学生生活の最後に、学園祭全面禁酒が言い渡された、私にとって最後の11月祭
京大の学園祭なのに北大生の集団に紛れてカジカ鍋をつつき、一斗缶でストーブを作って暖をとりながらの読書だった。

中高生の時代を勉強(?)で棒に振ってしまう進学校の生徒というのは、青春が26歳になってから来る。この最後の学園祭というやつは、なんか青春総まとめみたいな時間を過ごしていたのだった。

カジカの珍しさにつられてか、いろんな人が集まった。
飲酒禁止令の抜け穴を盟友と探した。別れたばかりの友人カップルが別々で来て、四年間の大恋愛について語ってくれた。ぼくはぼくで、1週間後には付き合うことになる人と一緒に時間を過ごしたりして…



さて、私にとってのエントロピーは、恋バナとかデートとかと同じ、私がもっと早く克服していたはずだった、青春の残りかすの一つだった。

エントロピーほど神秘的な説明がなされる物理学の専門用語もないと思う。
エントロピーは乱雑さを表す数値で、世界の現象はすべてエントロピーを増大させるような方向に進むらしい。
覆水盆に返らず、茹でた卵は元に戻らない、君の部屋は散らかるばかりで勝手に綺麗にならない、宇宙の利用可能エネルギーには上限がある、万物は常に秩序を失っている。

ことわざから茹で卵、果てはお部屋の片づけまで、エントロピーなる数字が大きくなるとかいうシンプルそうな理屈で説明できちゃう、ということになっている。それこそ、私のような、万物に潜む法則を知りたいと思って理学部に来た学部生の心を惹きつけてやまない素敵なテーマなのだ。


そんなぼくが憧れのエントロピーに挫折した理由についてが今回のテーマになる。
エントロピーの学習にはいささか混乱がある。というのも、いわゆる乱雑さから導かれる統計力学や情報学のエントロピーと、普通の学部生が最初に学ぶ、熱力学から導かれるエントロピーが、全く独立した体系から来ているからだ。
エントロピーとは乱雑さのことだ、と思い込んで学部の授業を受け、乱雑さとはあまり関係のないエントロピーの定義付けを聞いて、何のことだかわからなくなってしまいがちだと思うんだけど、これって僕だけなのかな。


はたして、これを説明するのに、統計力学エントロピーを説明して、熱力学のエントロピーについて説明して、なんでこの関係のない2つの理論がエントロピーと呼ばれているのか説明しなきゃいけない。


どうやらこの項、長くなりそうなので、3回くらいに分けようと思う。

次回に続く

ブログをはじめるにあたって

なんでブログをしたためようと思ったかという話について。
とりあえず、この2019年4月2日のぼくの現状について書いておく。
社会人を始めて1年、おかげさまで、転職口コミサイトに「準公務員のようなヌルい会社」とか書かれちゃう会社でのんびりやっている。無理筋の就活と大学院の長時間労働で溜め込んだ疲労は一通り抜けてきた。
本名でググると、サイエンスコミュニケーター育成講座で書き散らした駄文が出てきてしまう私。またもう一度、何かを発信したいという欲求がムクムクと沸いてきてしまったのだ。

当面のネタとしては、読書感想文というか書評というか、読んだ本について考えたこととかを、書いていく。


現行、読書については、個人的なテーマを4つ立てていて、1週間に1テーマで本を読んでいる。
この習慣は、バランスよく本を読もうということで、2018年の12月15日あたりに突然思いついて始めたのだけど、4月頭の今まで続いてるので、案外向いてる読み方なのかもしれない。
4つのテーマは以下の通り。


テーマ1 図書館の端っこから本を読んでいく
日本十進分類法、略してNDCをご損じたろうか。日本の図書館でよく使われてる本の整理番号で、京都市図書館の本の背表紙に貼ってあるちっちゃなシールの、913.6とか書いてあるあの番号である。この番号は本の主題を表していて、たとえば913.6と分類されている本は、
9 文学作品の
1 日本のもので
3 小説ないし物語のうち
.
6 明治時代以降に書かれた現代文学
という内容の本だ、とわかるようになっている。

ふつうの図書館は、このNDC の順に端から本を並べて置いていて、順番にはまあまあ意味がある。
分類の百の位の並びをみてもらえば、総論から各論、抽象から具体という風に、主題について一定の流れがあって、知識の世界を統合してやろうみたいな強い意志を感じませんか。端から読めば君も世界の真実を手に入れられるかもしれない。

0(総記 研究調査法とか情報学、図書館学、マスメディアみたいな、メタ学問っぽいのが入る)
1(哲学 宗教、心理学など)
2(歴史 地理もここ)
3(社会科学 社会学とか法律とか)
4(自然科学 数学もここ)
5(技術)
6(産業 農業とかも含んじゃう)
7(芸術)
8(言語 各種語学もここ)
9(文学)

各項目、関連事項という形で、別の項目にリンクが張られて、ある種の構造を作っているため、リンクをたどりながら順番に読んでいきたいと思っている。

正直、死ぬまでに0類を読み終われればいいかなって感じで読んでる。そう。暇でしょうがないのだ。


テーマ2 工業化学
京都大学の理学部というのは恐ろしいところで、カリキュラムがない。理学部の卒業生、修了生というのは、決して合理的とはいえない順番で、しかも自分で必要だと判断した内容しか学ばなかった人の集まりなので、人材として保証できる最低限度というのがない。
カリキュラム全体を見て点検してる人がいないので、たとえ化学教室で出講される講義をすべて受けたとしても、他の大学の卒業生は必ず学んでいるはずの、工業化学と高分子化学の授業が存在しないのでその知識はない。
工業化学と高分子の知識がない、ということは、自分で調べたのでない限り、化学プラントを見てもなにを作ってるか予想がつかないし、セロハンテープがどうして貼り付くのかその原理を知らずに卒業することになるということなのだ。

限られた天才の自由な思索を妨げないように、こうしたポストモダン式のカリキュラムが用意されてるわけだけど、それじゃああんまりなのは火を見るより明らかで、いよいよ最近では、学問的基盤の怪しい理学部出身の教員がいなくなり、工学部出身の教員がほとんどを占めているとか。

というわけで私も、今の断片的な知識を補いながら化学を学び直すべく、工学部のシラバス
https://www.t.kyoto-u.ac.jp/syllabus-s/?mode=book&lang=ja&b=7
をもとに勉強しようってわけ。


テーマ3 生涯に読むべき千冊の本
イギリスにガーディアン紙という新聞社があって、中道左派ということで、今の日本でいう朝日新聞みたいな新聞なのではないかと思う。
このガーディアン紙、生涯にするべきホニャララみたいな特集をよくやってるようだ。世界で食べるべき食べ物20の中にラーメン二郎を入れてしまうような、イイカゲンな選定ではあるものの、生涯で読むべき千冊とか言われると、一介の本好きとしてもこれは挑戦せざるを得ない。

きっかけは大学入学時から使っている読書SNS 読書メーター上にあるコミュニティから。ズバリこの千冊をみんなで読もうじゃないかという集まりなのだ。
ちなみにリストはこれ
http://bit.ly/1HMV74e
コミュニティの主催者の編集者?の人の個人ページだけど。日本からは大江健三郎とか川端康成とか入ってる。辛気臭い映画の原作とか、ノーベル文学賞の人が多めか。
みんなもイギリス人おすすめの名作を読もう。


テーマ4 資格の勉強
勤め先は優良企業なので、社内のリストにある資格を取るとお金がもらえる。
市販の教科書を買って勉強してたんだけど、そんな風に勉強する時間って、完全に資格試験の実施団体と会社とあと教科書で小遣い稼ぎしてる二流の専門家にカモにされてるという気がして、だんだんと腹が立ってきた。
どうせ趣味みたいなものなんだし、なるべく原典というか、せめて大学の教科書くらいの専門家に近い書籍で勉強したい、と思っているところ。

具体的には、日商簿記検定を受けるために会社法の本を読むようなことを想定してるんだけど、これはこの前思いついたやり方なので、うまくいくかはわからない。
気長に勉強しようじゃないか。


こうした読書で、新しく習得した面白いこととかを書き綴って行こうと思う。

ブログ続いたことがないので応援してね。